ポテトと 藤原新也「メメント・ヴィータ」

うちの小さな土地に ポテトが採れた。

生ゴミを埋めた土で 色々な芽が出て

伸びては消えていくが

小さなポテトは 自分なりに実を太らせ

その茎を引き抜いた私の前に 現れた。

 

写真を撮ろう。

大きな杉の年輪に ポテトを載せる。

150年以上はあるかと思う杉の年輪と

数ヶ月で地上に現れたポテトとの格の違い。

 

栃の葉 えごの木の実2個 山桑の葉2枚

枯れた撫子 小楢の葉 アケビの葉

賑やかしに置いた。

 

5日 6日と 雨で川の水量は増えなかったが

草や木が喜ぶ程は降った。

暑く焼けた「小屋」の屋根から 

湯気が上がってはいないだろうか。

 

藤原新也の「メメント・ヴィータ(生を想え)」読了。

この本の上巻とも言える「メメント・モリ(死を想え」

での疑問点が 解決できた。

ウクライナ戦争とスシロー事件との繋がり 他。

そして ラストの圧巻の「メメントヴィータ

実にタフな人だ。

 

初期の「印度放浪」「西藏放浪」

「全東洋街道」「メメント・モリ

一台の一眼レフと共に アジアを歩いた頃の

若い藤原新也の感動が溢れているような 

初期の写真と文が 好きだ。