大溝(おおみぞ)城跡(1)

 

高島市民病院に市民健診行ったついでに

以前から気になっていた「大溝城」に行ってみた。

 

そのお城は

市民病院の裏の畑の中

琵琶湖の内湖、乙女ヶ池に抱かれる様に

石垣だけを残して

 

ぽつんとあった。

 

 

短い石段を上って

そこに見えたのは

かつて天守台と呼ばれた本丸の跡。

 

こんなに狭い所だったのか。

戦国時代の城とは

 

こんな規模だったのかも知れない。

 

 

「天正6年、織田信長の弟信澄が築城。

妻が明智光秀の娘であった為に大阪で落命。

その後何人もの城主に代わり、元和5年伊賀上野の分部氏が入封。

明治まで代々この地を治めた。」

 

と、その様な事が階段の側に立っている案内板に書かれている。

 

乙女が池

 

戦国時代

琵琶湖の周りを織田信長や羽柴秀吉

浅井長政、明智光秀やらが

逃げたり、追っかけたり。

人質を取ったり、取られたり。

 

この狭い地を行ったり来たり

何をしてるんだと

少しおかしくもある。

 

どのような戦いもあってはならないが

核のないこの時代の戦争は

 誤解を恐れずに言うならば「のどか」なものだったと思う。

 


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