五月雨のシャワー

5月の雨
5月の雨

遅れてやって来た春は、遅れを取り戻さんとばかりに花を咲かせ、木を芽吹かせ、草を伸ばし、一生懸命だ。

そして、ゴールデンウィークの真ん中、優しい、優しい雨を降らせている。その煙る様な雨を受け、木も草も花も刻々と姿を変えて行く。

アメリカから去年送られて来たレタスの種。去年の秋、残りを痩せ地に撒いた。小石だらけの土の中から芽を出した。

村の奥さんから毎年頂くサニーレタスとニューヨークレタスの苗。そのどれもが深い雪の中で越冬し、今や朝と夕で違いが分かる程の成長ぶりだ。園芸に情熱を傾けられない私なのに、勝手に大きくなる。

冬に貰った三抱え程もあるネギ。下の10センチ程を残しておき雪が融けた後の痩せた畑に植えた。

「最近はイタリアンでもよく使いますよ」という言葉と共に、知人からもらったわさび菜の苗。どれもこれも、優しい雨のシャワーを浴び元気一杯だ。

そして一週間程前、悩む程沢山の様々なラッパ水仙の球根を頂く。村の人からの頂き物は野菜に限らず、水仙も半端な数ではなかった。軽トラックにびっしり積み込まれた色とりどりのラッパ水仙。「球根を一つ、一つほぐして植えや」という助言はよく理解出来る。

しかし、何回も言う様だが、私は園芸に情熱を傾けられない人間だ。

球根をほぐす事なく、掘り返して来た姿そのまま、あっちに、こっちに、植えていった。球根をくれた奥さんに「ほぐして植えんかったんか?」と聞かれた時のいい訳までも考えながら。

 

アマゴ?、イワナ??
アマゴ?、イワナ??

わさび菜の苗を下さった方から、その数日後に裏を流れる針畑川で釣ったアマゴ?かイワナ?を頂いた。私も夫も釣り針に引っ掛かってくる魚の姿を見るのが苦手だ。何とも痛々しい。しかし、誰かさんが釣ってくれ、動いていなければ平気で料理をし食べる。何と言う偽善者。エセ動物愛護者。さっきまで動いていた魚を処理しながら「ムニエルにしょう」と舌なめずりしている。

丁寧に塩、胡椒し、小麦粉をまぶし、厚手のフライパンにオリーブオイルを多い目に注ぐ。乾燥したローズマリーを指先でばらし、そこに丁寧に魚を並べる。

こんがり、パリパリと焼き上がった5月の幸。「ごちそうさまでした」

 

今も雨は降り続いている。

山の中の動物や、木や、草や、花達の息づかいまでが聞こえそうだ。

 

そして私は思う。種を撒く、苗を植える。それは明日への希望であり、明日を夢見る事だと。


つくしと山葵の花のナムル
つくしと山葵の花のナムル