「ニホン、キライデスカ?」

ソウル。煙草とごま油の店。
ソウル。煙草とごま油の店。

地下鉄の券売機の前でじっと行き先を確かめていると後ろから声がかかり、こうすればいいと親切に教えてくれる。プラットホームでどっちの電車に乗ればいいのかと駅名を見ていると、又々「どこへ行きたいんだ」(多分そう言ってるんだと思う)と聞いて来る。その上「どこに行って来たんだ?」「どこから来たんだ?」とネイティブな韓国語でたたみかける。私は推測で答える。間違っていないらしくニコニコしてうなずいている。白髪の私の頭をなで「ナンヤラ、カンヤラ」。何を言ってるのか分からない。その女性の友達が「イップダと言ってるのよ』と言う。イップダ・・・韓国語で「かわいい」とか「綺麗」。同年代の韓国のおばちゃん二人と日本のおばちゃん二人は雑踏のプラットホームで大笑いした。

 

電車に乗っても韓国のおばちゃんは私に色々と話しかける。分かる事もある。すると又「ナントカ、カントカ」。そんな時、隣に座っていた身だしなみのいい70代の男性が英語で私に話しかけて来た。「あなたは韓国語が上手だと彼女は言っています」。教科書のような英語だ。又しばらくすると通訳してくれる。「英語の先生だったんですか?」と聞くと「そうです」と答える。「英語の先生ですって」とおばちゃん達に韓国語で言うと、又ネイティブな韓国語で話してくる。

ソウルの雑貨屋
ソウルの雑貨屋

そんな時、私はフッと思った。70代半ばの男性が英語で通訳をしてくれる。この世代の人なら日本語は理解出来るはずなのに。私は数少ない韓国語でこの男性にたずねた。「ニホン、ニホンジン、キライデスカ?」。私の顔を見ずに下を向き、静かに頭を振ってキライだと表現した。

 

好きな訳はないだろう。35年間というもの日本に植民地化され、日本語を強要され、姓も変えさせられ、戦後も差別を受け・・・。

でもこの男性は私に英語で通訳をしてくれた。

「次の駅で降りるんですよね。本当にありがとうございました」私は英語と韓国語でお礼を言った。フッと男性の表情がゆるんだ。「どうぞいい旅を。さようなら」とその男性は又教科書英語でそう言って電車から降りて行った。

ソウル。李舜臣(イ スンシン)像
ソウル。李舜臣(イ スンシン)像

ソウル市のど真ん中に大きな李舜臣の像が南を見据えて立っている。16世紀、豊臣秀吉の軍が朝鮮半島を侵略した時の朝鮮王朝の武将だ。昔から、北はロシア、西は中国、東南は日本と朝鮮半島は心休まる時がない。李舜臣は高い台座の上からグッと睨みを利かせている。

 

「韓国では日本語が通じる」という人が沢山いる。それは間違いではない。ホテル、繁華街の店、土産物屋等々、ビックリするほど流暢な日本語が話される。若い店員さんは訛りもない。商売の為の日本語。

 

私は朝鮮半島の植民地化されていた35年間を思う。一般市民に声をかける時はまず韓国語で。私のつたないと言うのさえもおこがましい程の貧しい韓国語であっても、それが最小限の礼儀だと思っている。

 

 



トッポギとおでんの汁
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