ソウルの旅(最終回)

インチョン空港
インチョン空港

世界一、いや、アジア一だったか?、とにかく大きい、立派だと言われている仁川空港だが、20年程前に初めて行ったロスアンゼルス空港程の驚きはない。

廊下のピータイルがはがれていた伊丹空港から飛び立った私は、ピカピカのデルタ航空のエリアには感動した。空港で働いている人達のユニフォームが格好よく「やっぱり機能的なデザインはアメリカだ」と感動屋の私はまずここで1回目の感動をした。

 

さて、この日、関西空港のある大阪、近畿地方は台風が近づいているとは知っていた。雲一つないソウルにいるとそんな心配も現実味を帯びてこない。

ほぼ定刻通りに飛行機はインチョンを飛び立つ。

 

窓の下に遠浅の潮の引いた広い、広い黄海(ファンヘ)が見える。黒く見える丘陵や山々。整備された田や畑。細い紐の様な川が、光りながら緩やかに蛇行している。どの辺りを飛んでいるんだろう。パサついた機内食のサンドイッチをかじりながら、3泊4日の短いソウルの旅で出会った人達が思い出された。

 

何回道をたずねただろう。その度に本当に親切に教えてもらった。電車の中で「日本人か」と話しかけて来た白い麻のチマチョゴリの女性。襟のピンクの花の刺繍がとても素敵だった。「綺麗ですね」とほめると「結婚式に行く」とチョット自慢げだった。向かいのシートの女性もニコニコとそのやりとりを見ていた。

電車の中で木の十字架を持ち、熱心に布教活動をしていた女性。地下鉄の階段で見かけた80代の男性。よそ行きであろう、少しくたびれた淡いピンクの韓服、白の帽子、カバンを斜めがけにして腰を45度に曲げ、よいしょ、よいしょという感じで階段を一段ずつ。

現代美術館のカフェでフルーツジュースを担当していた青年。「ストロベリージュースを下さい」と韓国語で言うと、満面の笑みで用意してくれた。

人で溢れかえった水原(スウォン)の駅前。低学年の小学生達。ハンディキャップの人達に対する募金箱を持ち並んでいた。思わず足を止めて見てしまう程可愛かった。「韓国の男性は漂白されていない感じがする」と言った友達がいたが、まさにこの小学生達がそうだった。

 

片言までもいかない下手な韓国語でたずねたり、お願いしたり、注文したり、買ったり・・・。その度にソウルの人はビックリした表情をし、その後必ずニッコリ笑った。

 

 

インチョン空港
インチョン空港

旅は名所旧跡を巡るのも楽しいが、それよりもっと思い出に残るのは人と の出会いである。すれ違っただけの人なのに記憶に残る人もいる。道を訊ねただけなのに、何年もクリスマスカードをやりとりしている人もいる。出会った人達 との思い出が楽しければ楽しい程、その国が好きになる。ソウルもまさしくそれだった。
 
飛行機は高度を上げ、下に見える韓国の風景はより広がりを見せた。
 
私が生まれる前、若かった両親が、幼い兄や姉達を連れ行き来したであろう朝鮮半島を下に見て、ほんの一瞬だけれど、私は感傷的になった。
 
「アンニョン!、トハン マンナプシダ。(さようなら!、又、会いましょう)」