「何でも見てやろう」の普遍性

15才の時に出会った本
15才の時に出会った本

今年の夏は本当に暑くて心底気力が失せた。それと陶房展が重なり「アトリエ便り」が気になりつつも一日延ばしになってしまった。

ホームページを公開して丁度一年。ここ4、5日、やっと涼しくなって来た。少しずつ「改装』して行くつもりである。

そして、息苦しい様な京都の残暑の中、陶房展に来て下さった方々。

心よりお礼を申し上げます。

 

さて、猛暑に始まり、猛暑に終わった陶房展。

無事に最終日を迎え、軽トラに荷物を詰め込み、盆地の京都から山の朽木へとのんびりと車を走らせた。国道367の京都方面反対車線は、暗くなってもヘッドライトの列が途切れない。その国道から平良に向う県道に入ると、街灯もまばらで月夜以外は正に真っ暗、一車線の道が山の中をぬめぬめと続いている。その道を5分程走った辺りで暗い夜道を誰かが歩いている。リュックを背負った男の子が親指を立てているのに気がついた。でも,軽トラの荷台には余裕が無い。どうしょうか・・・と一瞬迷ったが50メートル程先で車を止めた。

その男の子の服装で行き先は分かった。うちからまだ10キロ程奥で毎年夏の終わりに開かれる「平和主義者』「エコロジスト」らしい人達のお祭りがある。外見はヒッピーだがよく話をした事がないので、思想までは詳しく知らない。そこに行くんだろうとすぐに分かった。荷物の上でもいいかと聞くと、いいと言う。真っ暗な山道の軽トラの荷台の荷物の上で「何処に連れて行かれるんだろう』と思ってるんじゃないかと、私も夫もおかしかった。

うちに着き、3人でお茶とお菓子を食べ、少し話しをして別の車で奥の目的地まで送って行った。

 

その男の子は世界を放浪している。そして自分のブログにその様子を書き発信している。貰った名刺に記されたウェブアドレスでそのブログを見た。長髪にサングラス、半パンをはいてギターを呑気そうに弾いている写真。ブログの文章もさっと読んだが少しの影も見当たらない。日本が豊かな時代に生まれ育った若者の楽天性と明朗さ。いいなあと思う。少なくともこの男の子のブログはそうである。リュックで世界放浪。多分クレジットカードを持ち、パソコンとデジカメでノートに記す日記にかわりブログで自分の思いを伝える。

 

私が中学を卒業し、高校の入学式までの間の春休み、大阪梅田の旭屋書店の2階で高く積まれていたのがベストセラーの旅行記「何でも見てやろう」だった。春休みの間に読んだ。私にとっての未知の世界がこの本には溢れていた。

買った本が増えれば処分し、それを繰り返したが、何時もこの本は私の本棚に残った。そして10年程前にもう一度読んだ。こんなにも深くて面白い本だという事に10代の時には気づかなかった。全編が平和主義と楽天性、大胆さ、優しさ、繊細さに溢れていた。

この本を読んでから私は地図さえあればどこにでも一人で行くようになった。旅行の途中で困難な事があれば小田実の言うように「何とかなるわ」。

 

1ドル360円の頃、選ばれた人達だけが海を渡った。そして今、クレジットカードとデジタルカメラを持ち、気軽に世界に出かける。

世界を見てみたい、この島国から表に出たい、非日常に身を置きたい・・・・年令に関わらずそんな風に思って外国に出かけるのは今も昔も変わらない。


パンのへたプディング
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