ごめんね

鹿の骨
鹿の骨

人間にとっておいしい野菜や大事に育てている花は,鹿や猿、いのししにとっても好物のようだ。そろそろ食べごろだと思っていたカボチャは猿にとってもそうらしく、次の日にはちゃんと猿が食べている。明日の朝このトマトを採ろうと思っていると、もう次ぎに日にはカラスがトマトに大きな穴を開けている。村の人の話である。

それを防ぐために畑の周りにはネットが張り巡らされている。効果はあるようだが,猿はネットの外から手を伸ばし中のトウモロコシをとる事が出来る。その度に「又やられた。300本植えたトウモロコシが全滅や」と村の人は言うが、そんなに苦にしているようにも見えない。この動物除けネットにたまに鹿が角をからませる。柔らかいネットは鹿がもがけばもがく程絡まる。

数日前、うちから100メートル程離れた村人の家のネットに鹿が絡まっていた。そこの御主人が角に絡まったネットを切り鹿を自由にしたが,精魂尽き果てた鹿はやっとの思いで川の向こうに辿り着きそこから動けなかった。

この話を聞いた時、私は少し驚いた。

ここらでは、そのようにして捕まった野生動物は猟師さんが来てライフルで撃つ。「害獣」だからだ。でもお隣さんはその鹿を放した。

「害獣駆除」の目的で銃で撃たれる野生動物はどの位の数なのかは私は知らない。この「害獣駆除」という言葉を聞く度に私が思い浮かべるのは、整形外科で貰う湿布薬。病気の元を治すのではなく、あくまで対症療法。「害獣」が何故害獣と呼ばれるのか。それを考えなくてはこの問題は解決しない。

今80代の村人が子供の頃、鹿や猿はここらでは見られなかったと聞いた。「奈良公園に行って初めて鹿を見た」「比叡山に行って初めて猿を見た」そうだ。話半分にしても、鹿や猿は里にはおりてこなかったと言う事だろう。高度経済成長の頃、落葉樹の山を杉の人工林に変えてから野生動物は下に降りて来た。こんな事は誰でも知っている。杉の山を落葉樹の山に戻せば又動物達は山に帰るだろう。これも誰でも知っている。

簡単じゃないかと私は思う。何が、こんな簡単な話をこんなに複雑にさせているのか。

 

村の人から貰った花や野菜の苗。自分で買ったシラカバの苗木。唯一頼んで分けてもらった秋明菊の株。犬のお墓の周りに植えた花。小学生が持って来てくれたサルビアの苗。それぞれが大きくなり,花を付けたり,枝を伸ばしたりしていた。

ある朝,フッと見ると見事に鹿に食べられている。夜更かしの私の小屋のすぐ側に植わっている野菜や花。何時食べに来ているのかという驚きと,悔しい思いがした。人間が山の生態を変えてしまったと知っていながら。

でも数日前、ネットにかかった鹿の話を聞いた時、少しぶれかけていた自分の野生動物に対する考えが,又元の位置に引き戻された。

 

「ごめんね」

うちのでよければ何時でもどうぞ。

 


毎日、なす、きゅうり
毎日、なす、きゅうり