奈良という街(1)

どんどん,どんどん,雨が降り続いた梅雨が明けると,今度は焼ける様な陽射しと息をするのも苦しい程の湿気の毎日である。

 

友達から「久しぶりに会おう」と言うメールが来て,話はすぐにまとまり、奈良に行こうと決まった。ゆっくり散策するには泊まるしかない。遷都1300年でどのホテルも旅館も満室。しかし運良く「三つの世界遺産に囲まれた」(と宿舎の人は自慢する)非常にリーズナブルな宿がとれた。タオルの数枚では足りない位の汗を流し,散策とは程遠い重い足を引きずり、2泊3日、奈良を歩いた。

 

奈良公園、東大寺近辺はどこを歩いても鹿に出会う。

人間を恐れない。修学旅行生が角に手をやり記念写真を撮っても、あたかもポーズをとっているかの様にじっとしてレンズを見ている。その愛想よさに又皆喜び,驚く。県庁前のバス停の側の木で,顔や角をゴシゴシする鹿。大通りから横に入った人家の間でも,鹿は草を食んでいた。鹿が車道を渡る時は車が停まる。ここは世界でも数少ない動物の聖域だと思う。

 

 

大仏殿回廊
大仏殿回廊

鹿のフンに気を付けながら東大寺の南大門へと歩く。

奈良の寺は大小に関わらず媚びを売らない美しさがある。どっしりと地に足をつけた落ち着きと言えばいいのだろうか。人の波が続く大仏殿だが、深い緑を背にゆったりと続く回廊は、1300年の昔の貴人達がゆったりとここを歩く姿を彷彿とさせるに充分だ。

日本と言う小さな島国が,やっと律令国家としての体裁を整えた奈良の時代。大国唐を真似た都を作り,大きな仏を作り、その仏を納める大仏殿を作る。全てが「外」に向けてのアピールであったのだろう。その大規模な工事には何十万という人々が招集されたに違いない。平城宮跡から発掘された木簡には、何回も故郷に逃げ帰った人達の記録がある。日本と言う国が大国に追いつき,追い越せと一生懸命努力する姿は、さぞや大変な事だったろうと思うが,何故か微笑ましくもある。

二月堂への途中
二月堂への途中

京都の寺院の築地塀と違い,奈良のそれは感動的な程素朴だ。割れた瓦と黄土をミルフィーユの様に重ねその技は確かで、かつてはこの上に白い漆喰が塗られていたのだろうか。もしそうだとしたら、街を歩きながら感じていた、これは奈良という街の一貫した「思想」鷹揚さなのではないか?。

奈良の寺は京都の様に磨かれていない。あるがままを良しとしている様に見える。東大寺の山門、大仏殿、どれもこれも埃にまみれ,すすけている。この築地塀しかりである。

それが街全体に落ち着きを与えている。

何十年振りかで歩く奈良の街は、私が若い頃には見せなかった顔を見せてくれる。