差別に目を向けた時

川田順造の本
川田順造の本

私は30の始め頃から白髪が出始めた。白髪の自分を想像もした事がなかったので、そのショックは決して小さくはなかった。一回りも年上の姉に白髪がないのに、どうして私にあるのかとがっかりしたが、かといって染めて黒くしようとも思わなかった。そんな事をぶつぶつ嘆いていると、どうしてそんな事で悩むのかと言う顔をして夫が言った。「黒い髪は若く見え、白い髪は老けて見えるという事は、若いという事を肯定し、年をとると言う事を否定している。若いという事が良くて、年寄りは駄目だと言うのは偏見で差別だ」と。私がぐたぐたと言っている時に夫は時々その悩みを一瞬にして解消する様な事を言う。カウンセラーにでもなれば、悩める人を助ける事が出来るのにと何時も思う。勿体ない事だ。

 

高校の頃だっただろうか、朝日新聞に載る藤木高嶺や本多勝一の文章が好きだった。アラスカ原住民、パプアニューギニア原住民の生活を読み新鮮な驚きで興味深かったが、アザラシの体内の虫を食べたり、裸体で男性性器にサックを付けてジャングルで暮らしたりするのには偏見をもっていた。しかし差別であるという夫の言葉の後では、全てが違って見え、感じた。

そうだ、日本の女性の着物だって冷静に見ればおかしいではないか。30センチ程もある布を体に巻き、最後には大きなランドセルみたいな物を背中にくっつける。これは見慣れない外国の人から見れば、「変」なものだろう。首長族が長い首に沢山のリングを通しているのも同じ。習慣と文化の違いだけである。パプアニューギニア原住民の非常にシンプルな衣装の男性性器のサックに対し、ヘンリー8世、ルイ王朝の王様、李朝の王様の服は非常に装飾的で、帽子には孔雀の羽まで付いている。それも文化と習慣の違いだけではないか。文化人類学者の川田順造がフィールドワークの地に選んだアフリカのサバンナは文字を持たない土地だった。しかしそれに代わるものとして太鼓による伝承があった。太鼓のリズムで部族の歴史やニュースを伝える。文字と太鼓のリズムに優劣があるだろうか。 日本人は生魚を食べ、トルコでは羊の頭を湯がいて食べる。お互いにビックリするだろうが、これも文化と習慣の違いだ。文化人類学は偏見や差別をも考えさせる学問なのかも知れない。

 

そして私は「偉そうに差別だ、偏見だと言うには、自分の行動と思想(それ程大げさなものではないが)が首尾一貫していなければならない」と白い髪を振り乱して毎日過している。どこまで行ってもマイナーな生き方だと自分でも分かっている。

初冬の灯り
初冬の灯り